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アイホール「伝説の子ども事業」-1


 もう15年前になるだろうか。アイホールの子ども事業に見学に行ったことがある。その企画は、舞踏家の岩下徹氏と音楽奏者の方が開いていた。私はそれを子ども事業の真髄だと今でも思う。

 そのプログラムは、朝から夕方まで、こどもたちは、楽器を作ったり、演奏したりしながら過ごす。そこに時々、岩下さんが現れるというものだった。岩下さんの登場は、アナウンスがあるわけでもなく、演奏が始まるのでもなく、いつの間にか現れる。様子を見たり、壁にペタンとくっついていたりしながら、そおっと場に入ってきた岩下さんを、子どもたちが発見していく。岩下さんに気づいたら、怖がる子、観察する子、話しかける子がいて、その反応は多様で個性的だった。岩下さんは、そんな子どもの反応にダンスで応えていく。その流れは、水に絵の具をニュルッと落としたらゆっくりと溶け出すような、ひよこが卵の殻を開けた一瞬のような、貴重な瞬間に映った。その後、みんなで踊りだすこともあれば、岩下さんをやっつけるグループが出きることもあればと、岩下さんと子どもたちから生まれるものは様々だったのだけれど、その様々な結果が、面白いと感じる時間だった。

 そのイベントの中で、岩下さんに乗って離れなくなる子がいた。岩下さんが巧みに体を動かして床に下ろすのだけれど、それでも登っていく。しまいには、落ちないようにぶら下がるようになった。小学3年生くらいの大きな体が、岩下さんの首に手を回しぶら下がる。姿勢を低くしたり、体を回転させても、絶対に首に回した手を離そうとしない。息苦しいのではと心配になった。

 「危険な行為はしてはいけない」子どもに注意すれば、すぐに解決したと思う。けれど、注意はしないように制作の方から声をかけられた。岩下さんとその子の二人を、しばらく見ていてと。学生だった私たちは、緊張しながら二人を見守った。

 岩下さんは、その子を乗せ踊り続けた。そのダンスが、子の重さを受け入れ、締め付けられる苦しさを流すような動きだった。次第に、彼女もかける力を調整していった。

 この二人のダンスは、衝撃だった。こういう体験を、子どもたちにして欲しいと思った。”こういう体験”が、どういうことか。どうして”子ども”にして欲しいのか、言葉にできなかったけれど、そう強く思った。

 そして、この事業は、「子ども事業の真髄」だと思った。あの光景を、今も忘れない。私も自身の企画を、あの体験に近づきたいと思い続けている。

 しばらくして、『越境する知1 身体:よみがえる』の如月小春の論説を読んだ。そこに、あの時言葉にできなかったことが、丁寧に書かれていた。「子どもの表現とは、どういう体験なのか。」如月小春は「荒馬に乗りこなす」と言っていた。その言葉をきっかけに、大学生の私は、子ども事業をさらに考察するようになった。


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